連休をきっちり休んだために明日明後日は怒濤の仕事日になることが約束されているのだった。
5月3日。
終日、休日大工することにし、食器棚の改造・書棚の増築・庭の手入れその他を計画し、スケッチをしてざっと部材をリストアップしてからホームセンターへ出撃。
庭の通路に敷くバークチップの50リットル入りの袋を、いい気になって3袋も買い込んで、自転車の荷台に積んで帰ろうとしたら、後部の重さに前輪が浮いてしまってハンドルがろくに効かない。おまけにこの日は風が強く、何度も倒れそうになりながら、匍匐前進のごとき速度で、全身の体重をハンドルにかけて押さえつけながらよろよろと押して歩き帰った。あまりの遅さに、心配した妻が子供を抱いて途中まで迎えに来るほどだった。
5月4日。
南泰裕さんが設計された、「park house」のオーナーご一家にご招待頂き、家族3人でお邪魔した。南さんもシュークリームを手みやげにご登場。
オーナーの「park house森林化計画」は屋上にマウンドを盛り上げていよいよラジカルに進行中で、さらに2階の屋根を「緑化」するという計画に、最初は思わず「やめたほうがいいんじゃないですか」と言っていた僕も、次第にオーナーのノリに引きずり込まれ、前言撤回して「草屋根」が見たいと言いだし、お庭で焼き肉を頂きつつ、傾斜した金属の屋根にどう薄層客土を固定するかという詳細で盛り上がってしまった。終わりなき成長というか変化というか。でも考えてみたらどういう建物だって「終わりなき変化」はし続けているわけで、竣工引き渡しというのはあくまで「キックオフ」なのだ、とあらためて思ったのだった。
南さんいわく「本当は緑はキライだったのだが、建て主とやり取りを続けるうちに影響をうけて、緑もなかなかいいと思い始めた」。僕は仕事柄、逆に緑に対して屈折しているところもある。でも僕も、緑のもつ「そこにあるべきであるかのようにある、ように見える効果」は素直に認めるのである。
帰路、調布で書店に立ち寄った。目的の本は見つからなかったが、今尾恵介さんの新しい本「住所と地名の大研究(新潮選書、2004 )」が出ているのを見つけて購入。僕は、10年近く前に国分寺に現場のある仕事をしていたときに、駅前の書店で「地図の遊び方(けやき出版)」を偶然見つけて以来の今尾ファンである。
連休明けの通勤本はこのほかに、ほとんど読了しかかっている、斎藤環「心理学化する社会」(PHP、2003)。
これは面白い。この本で述べられていることは、東浩紀さんが「自由を考える」や「動物化するポストモダン」で再三指摘していることと重なるものだし、若林幹夫さんが「浮上するエコロジー」のなかで「あらゆる予測不可能性と不確実性を自らの周囲から消去した後に残る確実性の根拠としての、人々にとってもっとも身近な自己の身体と心理状態が、唯一の確実なリアリティをもつ極小化した環境として現れてくる」と端的に述べていることとおんなじだ。
5月5日。
書棚増築、というか、別な場所への新築完了。
経験的に言って、書棚はある程度分散していたほうが、探しやすいし使いやすい。棚から本を取り出したり戻したりしているうちに、それぞれの本のグルーピングと、室内の配置(狭い家だけどよ)がなんとなく結びついて、いわば「本の場所性」とでも言うべき、「こういう傾向の本が集中してありそうなところ」ができてくるのである。内容のジャンルによる分類だけではなく、養分か享楽かレファレンスか、ネタ本として優れたものかダメ本か、本棚を飾りうる装丁か、などという様々な側面が本の「属性」になる。だから、書店で本を物色しているとき、目次を見ながら、この本はパソコンデスクの横の本棚の左下のあたりだとか、これは廊下の書棚の右上の方だとかいう分類をしたりしているのである。それにしても本は増える一方だ。和室の床なんか抜けそうだ。
■追記:
うわ、南さん過分なご紹介恐れ入ります。
それにしてもプロスペクター日記のアクセス数はすごそうだ。こちらのサイトに、プロスペクター日記をリンクもとにしたアクセスが殺到している。。。水門みたいなページである。


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