財布、運賃、子供服
間抜けにも、財布を忘れて出勤した。
自宅から駅までは自転車に乗り、駅からは通勤定期を使うので、途中で雑誌でも買おうとしない限り、朝の通勤時、財布の出番はない。気づいたのは職場に着いてからだった。
幸い、昼食の弁当は持参していたし、タバコもなんとか1日保ちそうな本数が残っていたし、午後に行く予定だった現場での打ち合わせがキャンセルされて交通費を使う予定も消えたので、「置きグリコ」さえ我慢すれば現金なしでも過ごせそうだった。こういうとき、誰かにお金を借りたりするのも悔しいので、あえて「無銭日」を過ごすことにした。
なんか、お金を「ぜんぜん使わない」というのは、それはそれで、それなりに緊張する。なんとか一日が過ぎ(でも結局タバコは切れて、O久保くんに合計2本、恵んでもらった。O久保くんありがとう)、無事に帰りの電車に乗った。
疲れていたものだから、読みかけの本を開いたまま、字面も追わずにぼーっと考えごとをし、3年目にしてようやく豊かに花をつけた、自宅の玄関先に植えたニワナナカマドの、あの穂咲きの小さい白い集合花序は、よく見るといかにも、なるほどバラ科だという様子をしているが、イチゴとかシモツケとか、ああいう「咲いたらバラ科」系の花は、可憐ながら野趣もあって好ましい、ヤマブキも白花の一重に限る、なんてことを思いめぐらしていてすっかり油断し、乗り過ごした。
慌てて降りた駅は京王多摩川。向かい側のホームの照明はもう消えている。ひと駅歩いて調布へ戻るしかない。でも所持金ゼロ。
寂しい改札口で駅員さんに申し出たところ、そういう客のための「運賃貸出し帳」とでもいうべき用紙を持ってきて(そういうのがあるってことは、そういう人は結構居るんだろう)、名前と連絡先を書かされ、いわく「いつ返しに来られます?」。
いつ、ってさ、乗り過ごしたんだって言ったじゃんか、120円の運賃払いに、往復240円かけて来いってのかよ、とは言わずに、「調布駅で返してもいいですかね?」と聞いてみると、それでいいというので、では明日の朝返します、と言いおいて、終電も過ぎた京王線沿いの道をとぼとぼと歩いて帰った。とほほ。
自宅に帰ってみると、廊下に大きな紙袋が置いてあって、中には子供服がぎっしり詰まっていた。
妻によると、先日、コドモ2人を保育園へ迎えに行った帰り、バスに乗り合わせた見ず知らずの初老の御婦人が、わたしの家に、最近まで一緒に住んでいた孫の服が捨てられずにたくさん取ってあるので、もらって欲しい、お家はどこですか、といきなり声をかけてきたんだそうだ。自宅のだいたいの場所を教えたところ、ほんとにいきなり山盛りの子供服とともに訪ねてきたんだそうである。近くの路上で、たまたま、僕らを良く知っているご近所のおばさんに行き当たり、このあたりに、2歳くらいの男の子と1歳くらいの女の子のお子さんのいらっしゃるお家は、と尋ねたんだそうで、すごいなその熱意というかガッツが。
コドモの服は、あっという間にサイズが合わなくなるし、すぐに汚れたりするので、頂けるのはたいへん有り難いのだが、なんだかいろんな人が子供服の古着を送って下さったりするんだな。これが。意匠ケースは古着で一杯。ウチの子供らは、当分、服には困らなそうだ。
誤記訂正: 意匠ケース→衣装ケース。
誤変換の誤字って、普段どういう文章を書いているかという傾向が反映される。
さっき、ある建築家のブログで「欄の花」というのを見た。


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