・Treat Us! But We Trick Anyway.

10月末日。娘の保育園の運動会とご近所を巻き込んだハロウィン・イベントが重なって、慌しくも楽しい週末であった。
午前中、ほとんどこのために新調したデジタル一眼(Pentax k-x)にキットの望遠レンズをくっつけて、「保護者席」のレジャーシートから、踊ったり綱引いたり走ったりする娘を追い、昼過ぎに自宅へ走り戻ってコドモらの「菓子強盗」の準備。
今年は、たまたま31日が土曜日なので、懇親会もかねてやりませんかとご近所に声をかけたところ、皆が面白がって下さって話が大きくなり、これまで個別に散発的に楽しんでいた子供の変装行列が合同されることになった。何軒ものご家庭が、子供らの急襲にご協力下さることになり、誤爆を避けるべく、イラストが上手なお母さんの一人にお願いして、サインを作ってもらってそれぞれの玄関に吊るした。
たしかにハロウィンは、たとえばバレンタインデイだとかクリスマスに比べると、同じような「輸入系季節祭事」としてはまだマイナーな行事である。でも、特にここ数年、わりと熱心にこれに関わってきた実感として、この数年間のハロウィンの認知度と普及の速度と規模は凄いものがある(HJIのHamachi先生など、特に強く感じておられるでありましょう)。
「ご近所の祭事」へのディマンドなんて、けっこうあるじゃんか、というのが、ハロウィンに限らず、ここ最近のご近所づきあいのなかで実感することである。ハロウィン関係の情報を漁って検索すると、いまでも「日本にハロウィンが定着しない(または『しなかった』)のはなぜか」というような記事を目にすることがあるが、もしかすると、ハロウィンが地域共同体的・家庭的行事として拡がりつつあるために、若い単身者には交点がないのかもしれない。
むしろ、古くからの「お祭り」よりも、自発的に参加できるイベントとして、ハロウィンという形式はなかなか使える(ように編集されつつある)。加えて、『地縁への回帰』とか、その証左というべきか、ある種のヤンキー的・7人の小人問題的テイストとか、興味深い論点も引き出しうる。もっと、文化人類学的に注目を浴びてもいいと思う。ハロウィン・ジャパン。
ウチの玄関前。今年は自宅の装飾が手抜きになってしまった。

長男の変装。自分の首を切って持ち歩く人。

ママ・カメラの列。

「受け入れ側」にもそれぞれ趣向が凝らしてあって、楽しいご近所ツアーになった。




コスチューム。「犬」。

「ティガー」。電池切れ。

バズと消防士がいる。

押し寄せるトリック・オア・トリート軍団。

ディスニーランドか。ここは。

自宅裏庭で。子供らのカボチャ彫刻体験。

打ち上げ懇親会の様子。


さて。次はクリスマスだぜ。なんてふざけて書いていると、そのうち、心理的な掛け金がはずれて「浮かれ電飾」をするようになるかもしれないな。洒落にならん。やばいぞ。

